『ボディビルダー』は救済ではなく、採点の呪いの完成を描く映画に見えた
※終盤の展開・結末まで具体的に触れる/センシティブな描写への言及あり
映画『ボディビルダー(Magazine Dreams)』を観た。観終わったあと突き放されたような気持ちになり、もう見たくない寄りの映画だったのだが、あまりに頭から離れないので文章にまとめておく。自分用の文章をガッと書いたので伝わりづらい箇所は多いかも。
主人公キリアンはボディビルで上を目指して生活している。減量、トレーニング、ポージング。彼はボディビルのことだけ考えている。ボディビルは審査員が点数をつける競技だ。点数が出て、順位がついて、評価は外側から降ってくる。競技として必要な仕組みだけど、承認欲求が肥大化した人間には地獄になる。自分で自分の価値を決められないとき、人は採点に依存する。点数が出なければ存在が確定しない。そこに依存したまま努力を積むと、努力は前進じゃなく承認の獲得装置になる。キリアンはそのルートをまっすぐ走っていて、筋肉が増えるほど自己評価の軸が痩せていくように見えた。
不満が積み上がって爆発する場面もある。祖父の家の塗装をめぐって業者にクレームを入れるのに取り合ってもらえず、最後は店を荒らす。弱さの訴え方が分からないまま、力で世界に押し返すしかなくなる感じがある。ここで父権や権威の匂いがずっと底で鳴っている気がした。キリアンはベトナム帰還兵の祖父を介護して暮らしていて、その強さや権威の言葉を盾にしてしまう。誰が上か、誰が偉いか、誰が強いか。その序列の言語でしか自分も他人も扱えない。ここまで来ると、彼が欲しいのは承認というより、承認を点数化した順位の確定なんだと思う。
職場の女性をデートに誘うシーンもある。あれはたぶん、向こう何年も映画の最悪なデートシーンとして擦られるやつだと思う。空気とか会話とか以前に、キリアンは自分の内側を一方的に吐き出してしまう。ボディビルの話をし続けて「もっと外の世界を見るといいよ」と言われるのはギャグすぎるけど、オタクってそういうことやるよね。やったことある。流れで両親の死の詳細まで語ってしまい、相手は帰る。地獄かよ。
あれこれうまくいかず作中で不穏な空気感が漂う中、キリアンが手紙を書き続けていたプロボディビルダーのブラッドから連絡が来て、撮影現場に行けることになる。ただここで、夢が現実に接続した瞬間のはずなのに、そこで起きるのは崇拝と搾取が混線したような出来事が起こる。明示はされないが、同意のない搾取として読める不穏さがある。私はこれを単に被害としてだけは見られなかった。男の身体が客体化され、男性性が搾取される権力勾配がある。強さを信仰してきた世界観の内部で、身体を商品として扱われる。壊されるのは尊厳だけじゃなく、強さに救われるはずだったキリアンの物語そのものだ。そして恐ろしいのは、序列の世界にいる限り本人がそこから降りられないことだと思った。その後にキリアンはブラッドへ「傷ついた。友達になりたかっただけなのに」と電話をする。この留守電は承認欲求が被害すら他者との関係の問題に回収してしまう感じがあって怖かった。
ここまで観てきて思うのだけれども、男性の承認欲求であったり男性身体を客体化するという舞台装置としての「ボディビル」ってすごく題材選定が良かったのではないかと思う。
そこから彼は殺意を現実に近づける。酷評した審査員の家に侵入し、銃で脅し、服を脱がせ、規定ポーズを取らせ、どちらが上かを言わせる。私には復讐ではなく採点の乗っ取りに見えた。ルールに乗っ取っているようで、暴力で勝ちを確定させる。求めているのは慰めでも共感でもなく、承認の強制だけだ。相手の口から「お前が上」を引き出した瞬間に目的が終わる。だから殺さずに去る。承認欲求の呪いが完成してて、救われる希望はむしろ遠のく。
この映画はインセルの映画と断言するより、インセル的な孤独と暴力の回路が、ボディビルの採点と序列に結びついた話として見るのがしっくりくる。誰かに愛されたいというより、自分の価値を確定してほしいという要求が先に立つ。だから関係は作れず、承認の取り方だけが過激になる。暴力が復讐ではなく採点の確定に見えたのも、その価値観の延長だと思う。そして、それが黒人男性の姿として描かれていることにも意味がある気がした。主人公の身体は強さや商品性の象徴として見られやすい。身体で証明しようとするほど社会の視線とぶつかる。弱さを言語化できないまま、強さの言語だけが増えていく。その息苦しさが、個人の病理だけではなくもう少し大きい圧力と接続して見えた。
ブラッドのショーから帰宅したキリアンは祖父の腕の中で崩れ落ちる。銃を分解して捨て、ステロイドや注射器をトイレに流す。 トイレに流すなよ。 外形的には更生の記号にも見える。でも私は、あれで承認欲求が癒えたとは思えなかった。捨てたのは道具であって、他者基準でしか自分を確定できない価値観は残っている。実際、最後に彼はまたガレージでポージングを始める。夢が続いていることを示すように。ここが一番しんどい。呪いは終わっていない。むしろ呪いが完成する過程だけが丁寧に描かれている。パンフレットの言い方だと救いか破滅か分からないように作られているらしいけど、個人的には破滅の未来が見えた。一方で救済されたという感想の人も結構いるみたいで、それも面白いな〜と思ってる。
そんなわけで、この作品はボディビル映画というより、採点される世界で生きることのホラーだった。原題も Magazine Dreams で、どちらかというと承認欲求の話寄りだしね。薦めるとしたら、承認欲求と向き合ったことがある人で、ある程度ボディビルの予備知識がある人かもしれない。他者の点数に人生を預けると、最後に残るのは筋肉でも勝利でもなく、自分が自分でなくなるということを改めて思わされた映画だった。
おまけ:上映後トークイベントの話
ちなみに、上映後のトークイベントがとてもよかった。ここで作品を観ていてしんどくなった気持ちが多少マシになった。ボディビルダーの持田教利選手が話していた「鏡を見なくなる演出」についてはかなり芯をくった感想だと感じた。序盤は鏡の前でポーズをキメているのに、進むにつれて自分の目で自分を見なくなっていく。自己嫌悪というより、自己評価そのものが外注されてしまった結果だと思う。自分が見ても何も確定しない。確定するのは審査員の採点だけになってしまっている。だから、キリアンが鏡を見なくなるのは採点の呪いが進行している描写に見えた。ちなみに私は持田さんのファンなので、映画を観る視点もいいんかこの人……とオッとなっていた模様。
昨年の日本男子ボディビル選手権を制した扇谷開登選手も登壇していたのだが、他人を一切気にしておらず、過去の有名なボディビルダーなどほとんど知らないというのが、作中のキリアンと正反対すぎて面白すぎて笑ってしまった。当初はYoutube動画でよく言っていた「最高の男になる」的な目標設定にハラハラとしていたが、話を聞いて印象が変わった。扇谷さんすごいよなぁ……
