自己啓発本と「社会に出る」ということ

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少し前に自己啓発本ばかり読んでいる人を揶揄する流れのTwitterを見て、映画『花束みたいな恋をした』を観たときのことを思い出したときのメモを、今更ながら書き残しておきます。

『花束みたいな恋をした』

大学生の麦(演:菅田将暉)と絹(演:有村架純)が音楽や小説といったカルチャーによって出会い、恋に落ちるところから始まるラブストーリーだが、坂元裕二による脚本であったり、観た人が口を揃えて「カップルで観に行く映画ではないかもしれない」と言う評判もあり、観るにあたって多少の覚悟が要る映画だったように思います。

若干のネタバレにはなりますが、扱っているテーマが同年代を学生として過ごした私(平成元年生まれ)の心の柔らかいところを抉ってくるものでしたが、結末としては爽やかなものでした。

『花束みたいな恋をした』と自己啓発本

麦はカルチャーによって救われているような学生で、それこそが絹との繋がりでもあったのですが、就職後にカルチャーに対する興味も薄くなり、心身が擦り切れて自己啓発本を読んでいるシーンが象徴的に描かれています。

私は法科大学院に行ったものの弁護士にはなれず、司法試験を諦めてからはモラトリアムの延長を過ごすような状態で20代の大半を過ごしていました。学生時代の同じカルチャーを共有していた友人たちが会社員となり、彼らとの会話内容、金銭感覚が合わなくなっていき、当時は遊びに誘われてもあまり行くことはなかったです。

麦が自己啓発本を読んでいるシーンは、会社員としての生き方に最適化されていく友人を見ていたときのことを思い出すようであまりにつらかった。私も自己啓発本をたまに読む習慣がありますが、どうも会社員として最適化されていくイメージが拭えず、ちょっとした抵抗感があるのは確かです。

社会に出るという言葉が嫌い

学生の頃から今に至るまで「社会に出る」という言葉を使うことを避けています。これは賃金労働や経営などによって稼いで自活すること、様々な社会的抑圧を需要することなどを「社会に出る」という事だと思われますが、「学生や働けない人間は社会の一員ではないのか。市場社会のみが社会だと思っているのか、やってらんねーな」と私は感じていました。

『花束』と同時期に上映していた『シン・エヴァンゲリオン』の結末は「社会に出ること」、「理不尽を受容して社会に適合すること」が「大人になる」ことであると受け取ったのですが、そんな大人を再生産することは御免被りたいです。大人になること、社会に出るということは似たような文脈で語られると思いますが、あまり近寄りたくない考え方だと思っています。

社会に出るまでもなく

いま正社員として勤めている会社などは幸運なことに理不尽や抑圧を嫌う、「理想的な大人ではない」「子どもである」と社会に見做される自分を否定してくることはなく、とても呼吸がしやすい環境に身を置くことができて運が良いのかもしれません。無条件に社会の一員として扱われている気がします。

余談ですが、自己啓発本を話題にしているツイート群を眺めていて、元上司の本棚に『7つの週間』と『<帝国>』が並んでいたという趣旨のものを見つけて、それらを読むのを挫折してしまったことを思い出しました。ネグリの<帝国>はまだ手元に残しているので、読書経験が以前より増した現在であればネグリも読める気がします。そろそろ読み返してみようと思う。

『7つの習慣』は自己啓発本の象徴的な存在なので、もしかすると一生読まないかもしれません。